ベランダに出ると蝉が裏返ってころがっていた。
鈍い銀色に光る腹がでかい芋虫みたいにぎちぎち動いて気持ちが悪い。
これがいつも木に引っかかって鬱陶しいくらいに鳴いているものかと思うとあまりの違いに気持ち悪さが増して少しの吐き気を感じた。
そういえばむかし蝉の抜け殻を初めて見たときもこんな嫌悪感を覚えた気がする。
ああ、そうか。これは地についたとたんにこんなにも哀れになるものだったのか。

蝉の処理をどうするか考えて、結局は少し観察をしてみることにした。
なにかつかむものでベランダの外に放りたかったけどそんなものはなさそうだし、まして手でつかむなんてとんでもない。
けれどこいつがどうやっていつ動かなくなるか少し興味があったし無駄に時間だけはあったから引き戸のサッシのところに腰かけた。

翅を細かく動かして地を這いずり回っているそれはどうやら蝉の断末魔らしい。
じじ、と出す羽音はもうすぐに途切れてしまいそうで蝉が必死にたすけてくれ、と言っているように見える。きっとこいつは直に死ぬだろう。
土の中で死ぬほど待ち望んだ夏に決して望んではいなかった短命で幕を引くんだ。
アア、カワイソウダナア。例文を心の中でなぞってはみてもそれはどうしてもただの気持ちの悪い蝉ではない別の生き物にしか見えなかった。

(どうしてこいつはこんなにしてまで生きているんだろう。
早く死んでしまえば楽になれるのに。そこまでして生を求める意味はなんだ。)

蝉の動きをずっとながめているとふ、と胃の奥から込み上げる気持ち悪さを感じた。
暑さで流れる汗とは違うどろっとした水が頬を流れていく。
きっと自分は地を這うこの生き物に嫌悪の気持ちしか持てない。
それ以外の気持ちを持とうとも思えない。これはきっと夏を謳う蝉なんかじゃないんだ。
ただの哀れで気持ちの悪い生き物なんだ。
そう思うと吐き気を堪えるのができなくなってもういっそひと思いにおれがこいつに死を与えてやればいいと思った。
そうだ、そうすればこいつはこんなに苦しまなくていいじゃないか。
おれだって吐かずに済むかもしれない。

(ああ、ああ、ああ。)
(けれどほんとうのこの気持ちの悪さの意味は、)

ゆっくり立ち上がると頭がふらふらした。
あまりの気持ちの悪さで頭が朦朧とする。その上眩暈まで感じた。
こんなにも自分の状態が悪化していることに少し驚いたがやっとの思いで上から蝉に焦点を合わせると、そろそろ蝉も果てそうになっているころだった。
それを確認すると途端に頭がずきずきと鈍く痛み出して思考が急にできなくなった。
ああ、もうこんなにも気持ち悪い。世界がぐるぐると回る。
おれはなにをしようとしていたんだっけ。なんのために立ち上がった。
どうしてこんなにも嫌悪の気持ちを露にしている。
どうしてだろう。どうしてだったかなあ…。

(そうだ、あの雨の日。)
(おれは残された夏の日を見る前に地を這うように哀れに折れて死んでしまった。)

意識を蝉に戻したときにはもういつの間にか足は振り下ろされていてサンダルの下にあるじゃり、という気持ちの悪い感触だけが残った。
そしてあれだけ気持ちの悪かった茶色い翅はもう動くことはないということを知った。
けれど吐き気は治まらずに確信だけが胃のなかに残って息ができない。
とうとうおれはたまらなくなって全て吐き出してしまった。

(ああ、そうだ。きっとこの生き物はあの日のおれだったんだ。)