自主トレ後に教室に忘れ物をしたことに気づいて一緒にいた仲間と別れて1人校舎に向かった。音ひとつしない校舎の中に1人。テスト期間中の放課後はかなしいくらいに静かだな、といつも思う。
まだ日が沈む前なのにどこの教室もがらんと昼間の騒ぎが嘘みたいにただ机と椅子が並んでいるだけだ。廊下を歩くおれの足音だけが響いている。
誰1人いない学校を歩くのも悪くないなあと小さく優越感に浸る。まるで自分だけが知っている秘密の場所を見つけたときみたいな感じだ。小さいとき秘密基地に夢中になったときの気持ちに似ている。
そう思いながら入った教室には先生がいた。さっきまでちょっとした勇者きどりだった気持ちは途端に現実に引き戻されて同時に少しはずかしくなる。先生は机に向かってなんか書いていた。色素の抜けた髪がオレンジ色の西日に反射してきらきら輝いている。先生の頬もきらきら。
きれいだ。

「あれ、阿部くん。どうしたの、」
「や、ちょっと忘れ物が、」
「阿部くんでもそういうことあるんだ、」

笑う先生に思いがけず目を奪われたことを悟られないようにすぐに先生から視線を外して自分の机に向かう。そういえば先生とは初めて2人きりになった気がする。年が近いせいか人気者の先生の周りにはいつだってだれかいたし、そこにあえて加わろうとは思わなかった。だから特別に個人的な話をしたことはなかったし、話すのはいつも事務的なことばかりだった。

「なに忘れたの、」
「え、と。国語の教科書、」
「おれの教科だ。」

ちゃんと勉強してね、自分が担任してるクラスの担当教科の平均点が低かったら結構へこむんだよ、と言った先生をちら、と盗み見たら不意に目があってどき、とした。先生は笑っている。
細めた目やら口角の上がったくちびるやら上下する喉仏やらが全然年相応に見えなくて、幼いなあと思った。きらきら、きらきら。西日の中で先生はまぶしい。
きらきら、きらきら。目の中ではじける。まぶしい。きれいだ。

「気をつけて帰ってね、」

途端になぜか心臓が早鐘のように鳴り出して、投げかけられた言葉には適当に返事をして追われるように教室を出た。普段遠巻きに見ているだけだった先生とこんなにまで話をしたことがなんかものすごく不思議で変な感じで居たたまれない気持ちだった。
誰もいない廊下をまた1人で戻る。けれど静かだった放課後の時間は、今は自分の律動する心臓でうるさい。
その理由がなにかなんてわからなかったけど、ただ、あれだけきらきらしてたら女子が騒ぐのも納得だ、と妙に思った。