「阿部くんがしたことは仕方ないことだよ。
だっておれたちは男で、どうしたって女の子への興味は捨てられないんだから。」

そう言う三橋は自分の目の前であぐらをかいて表情ひとつくずさずに声も揺らすことなく淡々と吃音なしで言葉を発している。逐一言葉を選んで話している様子はなく思ったことをなんの修正もせずに溢れるままに発しているみたいだ。
けれど攻められることを望んでいる自分は、そんな三橋のやさしい態度にどうしても自分に対する三橋の憤りを感じることができなくてもう少し冷たい言葉が欲しいと思っている。そうだ、自分は三橋に蔑まれることを望んでいる。

「大体おれたちの関係がおかしいんだよ。
おれたちは男同士のくせして常識じゃ考えられないことしてるじゃないか。
それがそもそものまちがいなんだよ。」

だから阿部くんは悪くないんだ。そう繰り返す三橋は自分と少しも目をあわさずにずっと視線を下げたままで絶対に自分と目をあわせようとしない。
けれど目の色は輝きを殺した冷たい色だということがわかって、その様子から少しは三橋も居心地の悪さを感じていることが読み取れて安心した。
こんなことを言ったらきっと三橋は自分をおかしな人間だろうと思うだろうから言わないけど、でも三橋に自分に対する憤りの気持ちを持ってそしてその怒り狂う三橋の殴られたいと思うんだ。

自分のこんな異様で気持ちの悪い三橋への感情に気づいたのはつい最近で、けれどそのことを理解したと同時にそれはとても自分にとって快感であるということを知った。
怒りに全てを任せた三橋は普段の三橋から想像できない絶対に自分の知らない三橋で、そんな三橋を知ることができる上に三橋に汚い言葉で罵られて痛めつけられるなんてきっとほかのだれでもない自分にしかできないことだと思うと恍惚とした気持ちになった。
自分でもこのおかしな性癖を気持ち悪いと思ったけれど、でもやっぱりどうしても三橋に殴られてみたいんだ。

そう思って三橋の憤りを簡単に手にするために三橋よりも柔らかくて膨らみのある自分をちゃんと受け入れる場所を持っている女子を抱いた。
今考えれば他の方法でもよかったと思うけれどそのときはこれしか頭に浮かばなかったんだからしょうがない。気持ちよさなら三橋に勝ることはなかったけれど自分の都合のいいままに行為を展開できることがなんていいものなんだろうと思った。
三橋とするときはこうもうまくいかない。
やさしく扱ってしまわないと三橋はすぐに傷ついて血を流してしまうから自分は常に三橋を気遣って気持ちのいいことをしてやらないといけない。そして自分は傷ついている三橋を見ることも三橋を傷つけることも嫌いだ。

けれど今回自分のしたことは自分の快感を手に入れるためだけに三橋を傷つけているということは知っている。それは最低なことできっともう三橋を傷つけることが嫌いだなんて言える立場にいないこともわかっている。知っている。
けれどそれ以上に三橋の怒りで赤くした顔が見たい。罵りの言葉ばかりが吐き出される口からのぞく舌を見たい。自分を殴ろうとすることを抑えるために握り締められた拳を見たい。自分の知ることのなかった三橋の全てが見たい。見たい、見たい、見たい。

強くそう思うけれど、自分の望み通りの三橋は目の前にはいない。いつも通りの三橋がいる。ああ、でも少しは違うか。冷たい目をした三橋はそれはそれで自分の気持ちを少なくとも満たしてくれる。
けれど、欲しいものはそれだけじゃないんだ。

「三橋は怒ってないの、」
「なんで、」
「だっておれのしたことは最低で三橋を裏切ったのに、」
「そうだね。阿部くんは、おれを裏切ったよ。」
「なのになんでそう三橋は平気そうなんだよ、」
「おれ、そんなふうに見える、」
「見えるよ。」
「そう。」

三橋はずっと下げていた視線をやっと上げて自分の目をまっすぐに見た。輝きのまったくない感情を押し殺したその目を初めて見ておれは少し興奮して三橋に焦点を合わせたけれど、三橋の平常通りの血色のいい顔を知ってすぐに背中に冷たいものが通っていくのを感じた。
今三橋は怒っている。目だけを鈍い色に光らせて、けれどほかは驚くくらいにいつもと同じだ。これは自分があれほどにまで望んだ三橋の怒りだ。それは想像していたよりも随分と冷たいものでイメージで言うと青い怒りだった。自分が思い描いていた赤く燃えるような怒りではなかった。

「阿部くん、おれがどんな気持ちで阿部くんに非はなかったよって言ったかわかる、」
「三橋、」
「きっとわからないよね。だってそんなこと聞くこと自体がおかしいもん。」
「みは、」
「おれが必死に阿部くんを許して自分の気持ちを殺したのにそれを阿部くんは、」
「み、」
「だまってればよかったのにね。そしたらおれだってこんな不愉快な気持ち忘れられたのに。」

そう言った三橋の口元に薄っすら笑みのようなものが見えた。三橋の目はおれの黒目ではなくてきっとちがうなにかを見ていると感じるくらいの恐ろしさだ。
ああ、とうとう三橋を完全に怒らせてしまった。
怒りで顔を赤くして汚い言葉で罵って自分を今にも殴りそうな三橋ではないけれど静かに腹の奥で自分に対する怒りを燃やしている。そんな三橋の姿に恐怖した。こんな三橋が三橋の中にいたなんて。これらの状況を想像できずに背中の凍る思いがする。
ああ、自分の知りえない三橋が今、目の前にいる。
けれど恐怖の気持ちはどこか恍惚の気持ちに似ていた。

(三橋、おれはいつかにお前に殴られてみたいよ。)