(総ちゃん、)
耳の奥にこびり付いた自分の名を呼ぶ声がもう二度と鼓膜を震わせることはないのだと未だに信じられないでいる。いっそのこと彼女の亡霊と共に死んでしまいたいと思うが、彼女は化けて出るどころか夢にさえ出て来てくれないのだからそれはできそうにない。彼女の折れてしまいそうな体をもう一度この手にかき抱きたいのに。
自分は生きる意味を半分なくしてしまったまま生きている。




「沖田さん、またこんなとこで寝てたんですか。副長めちゃくちゃ探してましたよ。また仕事さぼったんですか、」

なにもかにもにやる気が起こらなくて任務も半ばに手放し、いつもの土手でいつものように寝転んでいたら上から山崎の声が降ってきた。走って来たんだろうか、アイマスクを外した先に辛そうに肩で息をしている山崎がいた。別に走って探さなくてもよかったのに。つぶやいたら早く見つけないと俺が副長にどやされるんです、と言われた。
随分長い間眠っていたらしく、頭上で輝いていた太陽はいつの間にか西に傾き、橙色に空を染めていた。遠くに見える山際は更に濃い橙色に染まり、もうすぐで夜の時間が来ることがわかる。
橙色に染まった景色や山崎の肩越しに見る夕日は綺麗で、思い出の中で笑む彼女と重なった。そのままぼんやり、視線も定まらずに寝転んだままの自分に焦れたのか、山崎に早く帰りましょうと急かされた。別に土方なんて怒らせときゃいいのに、と言ったら、だから俺が怒られるんですってば、とさっきと同じことを言われた。

「じゃあ起こして、」
「は、」
「起こして、」

山崎の目の前に利き手を突き出してひらひら煽る。俺に起きてほしいんだったらお前が起こせ。山崎はそれ以上下げたら落ちるんじゃないかと思うくらい眉毛を下げて、沖田さんには敵いませんと一言、溜め息を吐きながら呆れ顔でそう言った。

「…ほんと、沖田さんてどこまでも沖田さんですね、」
「いいから、山崎。俺の手ェ握れるなんてめったにないぜィ、」
「またそんな冗談、」

言いながらぎゅ、と手を掴まれてひらり、容易に地面に着地させられた。あんまりにも見事に起こされたもんだから意外に力あんのなァ、と言ってやったら、沖田さんは見た目と違わず軽いですね、食ってますか、と真顔で返された。

「山崎ィ、手、」
「今度はなんです、」
「屯所まで引っ張ってってくれ、」
「もう、子どもじゃないんだからそんくらい自分で歩いて下さいよ、」
「生憎、俺はまだ子どもなんで、」

強引に手を握ったら山崎はもう一度溜め息を吐きながら今回だけ、特別ですからね、と引っ張ってくれた。土方に怒られるのがよっぽど恐ろしいんだろうか、早歩きで歩く山崎の少し後ろを引かれるようにして行く。自分で言い出したことではあるが、男2人がなにが楽しくて夕日の中お手て繋いでしてるんだろう気色悪い、と思ったが、実際今は誰かに手を引いてくれないと歩いて帰れないような気がした。
ぼんやり、沈んでいく夕日を見ながら引っ張られるままに歩いていたら、沖田さん、もうそろそろ仕事まじめにして下さいよ、とこちらを振り向きもせずに山崎に言われた。適当に相槌を打ったら本当にわかってんですか、と言われたから更に適当に返事をした。俺は沖田さんのお母さんでもお姉さんでもまして家政婦でもないんですからね、都合のいい時ばかり甘えられたら困るんです、と言う山崎の手は思っていたよりも大きくて柔らかで優しくかった。



橙色がだんだんと濃くなっていく。道に張り付いている影が長く伸びてもうすぐそこに夜が来ているということが否応にもわかった。彼女はきっと今夜も夢の中には出てきてくれないのだろう、自分は生きるのも死ぬのも彼女のためだと思っていたのになんという絶望だ。そう思って、無心で前を見て歩いている山崎の手を強く握ったら、先刻目蓋の下で蘇った思い出の中の人の持つ掌と同じように握り返してきて、二度と抱けない彼女を思って少し泣きたい気持ちになった。